太古から届く無数の星々のうたにそっと耳を澄ませば
響き合うハーモニーが聴こえてくるでしょうか。
輝く星をつないで星座が生まれ、夜空で静かに物語がくり広げられるように・・・
幾つもの出会いや感動やワクワクが結び合わされて
てるる詩の木工房の竪琴は生まれてきました。
私たちがはじめて竪琴に出会ったのは2002年、
首里のレストランで開かれた小さな竪琴のコンサートでのことでした。
奏者の平岡祐子さんの真摯で美しい演奏と、
その時に語られた
「奏者だけでなくこの場にいる一人ひとりが関わって、音が生まれてくる」
「現代の私たちは喧噪の中で生きているが時にはそこを離れて耳を澄ませて”聴く”ことが大切」
というお話を今でも忘れることができません。
コンサートが終わり感動の中、
「沖縄の桑の木で竪琴を作りたい、完成したら弾いてくれませんか」という唐突な私たちの問いに
平岡さんは「竪琴を作るなら、深い泉から水を汲んでください」と答えてくれました。
はじめて竪琴に出会ったコンサートのパンフレット。
余談ですが、その会場となったレストランの名前は
「ラ・フォンテ」といいました。(現在営業はしていません)
どうして竪琴を作ることになったのかある方にお話ししていたところ
「だってフォンテって、イタリア語で「泉」という意味だもんね」。
私たちが平岡さんより「深い泉から・・・」と示唆をいただいた
正にその場所が「泉」だったとは!
20年の時を経て初めて知った事実です。
それから私たちは『深い泉とはなにか?』と考えました。
実はその年は、私たちが家具工房としてスタートした年でした。
設立当時いろいろな困難がある中でしたがコンサートで聞いた竪琴の音色は、子どもの頃に心に描いていた「竪琴を作ってみたい」という思いを呼び覚まし、心の底からワクワクする気持ちがあふれてきました。
竪琴とは? 音とは? うたとは?
かつて日本では「琴」(こと)と「言葉」(ことのは)に深いつながりがあると考えられていました。
沖縄では赤ちゃんに名づけをする際に桑の木の小枝で作った弓を鳴らしながら行う風習があり、
(名前がまだついていない赤ちゃんは無防備なので、弓を鳴らす音の力で守っている間に名前を付ける。)
弓の武器としての力ではなく、音に力があると考えられていました。
「うた」は「思い」や「祈り」と共に生まれ、先人の智慧がこめられ生命が宿っていること。
通常楽器には適した用材が決まっておりそれらを組み合わせて使うことがほとんどですが、
沖縄の森の木で試作を繰り返したところ楽器用材としての確かな手ごたえを感じました。
まだ誰もその素晴らしさを知らない木を楽器として輝かせることも私たちの大切な使命だと思いました。
そんなことに出会ううちに遠い外国の楽器だと思っていた竪琴が、自分たちの内側から湧き出るものでもあり、
奥深いところでその水脈が世界中につながっていることを感じました。
誰かのまねではなく、自分たちの中から湧き出る楽器として作って良いんだと思うことができました。
心に描く形をはじめて楽器にして、音を出した時の喜びといったら!
毎晩毎晩音を奏で、音にふれあうことは本当に幸せでした。
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今こうして楽器を制作することを生業とし、楽器を通して皆様と喜びを共有できることにお一人お一人に感謝申し上げます。
そして楽器の誕生のきっかけとなり、長い道のりをずっと見守ってくださっている平岡祐子さんへ心より敬意と感謝を表します。
平岡祐子さんプロフィール
てるる詩の木工房の竪琴が生まれるきっかけとなったライアー奏者。
「音楽の向こうには何があるのだろう?芸術の背後に隠された真実を知りたい」という幼少時からの問いの答えを探すためにスイス在住の作曲家ゴットハルト・キリアン氏の下で学ぶ。
「心の保護を求める子どもたち」のために音楽教育に携わりながら、各地でコンサートを開催。
沖縄では2001年よりコンサート・ワークショップを開催し、真摯で清らかな演奏は多くの感動を呼んだ。
平岡祐子さんより寄稿
「てるるライアーと私」
子どもの頃、ある日突然、ふと膝の上に載る位のハープを弾くと思った私は、
仕事で出会った方からライアーを紹介されて、すぐに習い始めました。
その後、色んな出会いの中で、ライアーが「心の保護を求める子どもたち」の治療教育の為に作られたこと、
音楽療法や教育の場でも用いられることなどを知りました。
そんな頃、私の最初のライアーをプレゼントしてくれた祖母が、脳梗塞で誰とも会話できない状態になったのですが、
ライアーを通してコミュニケーションできる奇跡が起こり、
ライアーの可能性に大きな信頼を寄せ、学びを進める日々を送ることになりました。
そこで、音楽本来の力を有していたと思われる古代音階とライアーを結びつける方達とも出会いました。
当時、私はご縁のあった沖縄に、優れた祈りの音楽があったことを教えて頂き、その音楽を平均律ではなく、古代音階で演奏してみようと試みたのですが、その時の演奏会に足を運んでくださったのが、髙良さんでした。
これまで演奏会にいらして下さった方で、ライアーを習いたいと仰ってくださった方は何人かおられましたが、
ライアーを作りたいと仰った方は髙良さんが初めてでした。
そしてその時演奏に使用した、古代ギリシアの竪琴を模して古代音階の為に作られた楽器を詳細に観察してお帰りになられました。
後日、髙良さんから小さな美しいペンタトニックのキンダーライアーが届けられました。
この楽器にはスチール弦の代わりにやわらかいナイロン弦が張られており、ひときわに繊細で優しい音色を響かせてくれました。
私は当時、心の保護を求めるお子さんと触れ合う仕事をしており、ある日、その中の一人の音楽が大好きなお子さんに、ライアーを持たせてあげたいと思いました。
治療教育の場で産まれたライアーには、当時からたくさんの方々が心を尽くして作った色んな種類の素晴らしいキンダーライアーがありましたが、私にはどれも、極めて繊細な在り方をしていたその子どもさんには相応しくないように感じられて、どうしても髙良さんの
第1号ライアーを持たせてあげたくなりました。
髙良さんのご快諾を得て、そのお子さんに渡してあげるととても喜んで、それまで字を書くことが出来なかったお子さんが、丸一日かけてお母様と一緒に一生懸命練習して、「ありがとう」と書いた手紙を髙良さんに送ってくれました。
その後、私のライアーに問題が起こりました。当時よく使用していた幾種類か持っていたライアーが次々と破損してしまったのです。
一つには欧州生まれの楽器のため、高温多湿になる日本の気候風土が過酷だったのかも知れません。
これから演奏する楽器を考えたとき、私が暮らすこの日本の気候風土にかなう物が良いと考えるのは自然な流れでした。
更に、外国語が堪能でない私にとっては、楽器について日本語でやりとりできる方が制作した楽器を使いたいということも、優先順位の高い条件となりました。
そこで思い浮かんだのが髙良さんです。
当時の私がライアーを演奏するのは、心の保護を求めるお子さん達の為であり、また沖縄での慰霊を始めとする祈りの為でした。
私のそんな演奏を誰よりも理解して下さり、あの第1号ライアーを巡る感動の出来事を見せて下さった方です。
私はライアー制作のお願いをしてみることにしました。
これをご快諾下さった髙良さんは、それから朝の清らかな時間の中で、静謐な気持ちで試作を重ねて下さいました。
そのお話をお伺いした時、この方にお願いしたことは間違いではなかったと思いました。
そして試作品として届けられたライアーは、沖縄戦の戦火を生き延びた奇跡の柿の木で作られた楽器でした。
私の祈りや心の保護を求める子どもたちに寄り添う楽器が欲しいと願う気持ちに、一本一本の木へのリスペクトを込めて語り合いながら真摯に向き合う髙良さんの気持ちが溶け合った、素晴らしい楽器の誕生でした。
その後、細かい演奏上の感想をお伝えして、私の生涯の伴侶となる楽器が産まれました。
随所に髙良さんの技と祈りが込められたこの楽器は、とても不思議な楽器です。
通常でも素晴らしいのですが、深い思いを込めて奏でていくと、その内突然うわぁ~んと響きが変わり、楽器自身が歌い始めるのです。
ある時、レッスンに来て下さった方に、そんな状態になった楽器をお渡ししたら、少し弾いてみて「え?!すごく良い音色ですね!」と驚かれて、即座に髙良さんの同タイプの楽器購入を決意されたほどです。
また、木と語り合うように制作される髙良さんは、色んな種類の木からライアーを作られ、それぞれ異なる音色を奏でてくれていますが、まるで楽器の方が弾き手を選ぶかのように、それぞれに最もふさわしい弾き手の所へ旅立っていくのがとても面白いです。
そんな話しをすると奥様から、それを裏付けるような沢山のエピソードが語られて、それもまた髙良さんの楽器らしいなと思いました。
「物には命が宿る」という話しを耳にして、その通りだろうなと思ってきましたが、髙良さんのライアーと出会い、木の命が楽器の生命に生まれ変わる奇跡を、実際に身をもって体験させて頂くことが出来て、とても感謝しています。
2024年8月12日