制作者高良輝幸の物語



1955年

 

髙良幸正、八重子の長男として那覇市田原に生まれる。

エナを埋めてくれたおじさんによると

「とても可愛い子だった」らしい。

 

占領下の沖縄で、周りには外人住宅が立ち並び、戦争の爪痕が生々しく残る壕もあった。

 

ガキ大将的先輩に連れられ様々な年代で混ざって遊ぶ毎日。

通せんぼをして「輝幸は歌が上手だから歌ったら通してやる」と可愛がってくれた近所のお兄さんもいた。

 

先述のおじさんからギターを借りたのがギターに触れたはじまり。

1973年

 

高校卒業後まもなく、沖縄中部の無人島「浮原島」で父を手伝っていた頃。放牧で百頭余りのヤギを飼育していた。

時にはヤギ泥棒から命を奪われそうになったことも!?

 

夢の他に何も持たず、ギターが友人だった頃の写真。

 

1976年

 

髙良の木工の原点はギター製作でした。

音楽にあこがれ、沖縄を離れて岐阜県の手加工ギターメーカー

ヤイリーギターへ直接電話をかけ、社長と直談判して就職。

寮生活をしながら仕事が終わると夜の10時まで刃物を研ぎ続け修行に明け暮れた日々。

 

1983年

 

その後、

 「もっと木のことを知りたい、間口が広く奥が深い木工をもっと極めたい」と注文家具製作の道へ。

 

納期も厳しく、楽器とは勝手の違う勤め先で、先輩たちに罵倒されることもしばしばあった。

その中で一人、仕事への心意気を教えてくれた先輩がいた。

 

今もその人を『師匠』と仰いでいる。

1985年

 

東京の家具工房で勤務していた頃。

下宿先アパートの一室で、板の製材から全てを手作業で制作したギター。

仕事を終えた後に、夜な夜な制作を続け完成には3か月を要した。

 

裏板は数種類の沖縄の木を組み合わせて

リュートのような丸みを帯びた形状。

表面板の縁には寿司屋さんで食べたアワビの貝殻を切ってインレイを施している。

 

 

当時友人とバンドを組んでベースを担当。

大工さんではなく家具職人だったのに仲間からは「トーリョー」と呼ばれていた。

 

1993年

 

沖縄に戻ってきて県立芸術大学で美術工芸学部デザイン科

プロダクトデザイン木工技術嘱託員として勤務していた頃。

 

写真は桜の大木を大鋸(おが)で製材する実験をしているところ。

 

学生から信頼を受けながら木工技術を教える傍ら自身で様々な研究を行った。(木工だけでなくハム・ベーコンを研究したり、環境デザインと称してハーブガーデンを作ったり)一風変わった先生として指導に当たっていた。

 

2002年

 県立芸大を退職後、木工を生業にしたいと独立を決意。

 『木の工房杢陽』創業。

 

当時注文家具製作をメインにと考えていたが、

その年の12月に竪琴との運命の出会いがあった。

 

沖縄の木で竪琴を作ることを決意する。

 

竪琴を専門に制作している工房だと思っておられる方が多いと思いますが

実は家具工房としてのスタート、内装工事や作りつけ家具もたくさん制作しました。

子ども達を寝かしつけてからの納品、撤夜続きでやっと納品したことも・・・

 

その後沖縄各地の獅子頭や琉球王国時代の漆器木地製作の仕事にシフトを移していきました。

往時の人々に心を合わせ、戦火で失われた漆器を復元することに心を馳せた日々。

たくさんの大切なことを学ばせていただき、

ゆっくりと自分の本当にやりたいことへ向かいながら今があります。

2007年 自作の弦巻き機を開発、アルトライアーを完成させる。

 

2010年 楽器制作ブランドを「てるる詩の木工房」と名付ける。

竪琴(ライアー)の制作・販売を楽器メーカーとして本格的に始める。

 

2018年 ドイツ・ザーレム工房から招待を受け弦制作の研修を行う

 

2019年  2台目の自作弦制作機『夢織り機1号』完成。独自の工夫を随所に凝らしてオリジナル弦を完成させる

 

2023年 首里城扁額木地製作のために作業場新設。2Fは楽器展示室・スタジオとして準備中。

 

2023年 長男 麦が入社、スタッフに加わる。

 

これからも精進と探求、挑戦し続けることを忘れない「求道者」でありたいと思います。